あけましておめでとうございます。
旧年中は、何かと皆様にはお力添えをいただき誠にありがとうございました。
当社も皆様のお陰をもちまして、無事に新春を迎えることができました。これを機に社員一同気を引き締めて、皆様のご愛顧にお応えいたすよう努力いたします。
また、本年は 『 前向きに・前向きに 』 をモットウに、より一層本業の 『 中華の晋南 』 色を前面に打ち出し皆様のご期待におこたえできるよう邁進しようと思っています。
これからも寒い季節、厳しい経済状況が続くと思いますが、皆様の益々のご隆盛とご健勝をお祈り申しあげます。
最後になりますが、昨年どうよう今年も 『 酔っ払い親爺の戯言 』 にお付き合いくださるように宜しくお願いいたします。
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前回、猫ちゃんは、村人Aさんに食べれるのか食べれないのかと問われて困ってしまいました。 オイラなら 「 お前が勝手に残したんだから、自分で食うなり捨てるなり自由にやればいいべ 」で話は、終わるのですが、そこはそれ、ものしり猫ちゃんは、「 私が色々やってみましょうそのカビで白くなったお米を置いて行って下さい。」 ときたもんだ。
村人Aさんは、急に惜しくなっちゃったねぇ。「 猫さんが、そこまで言うのであれば、これはきっと食べれるに違いねぇ、オラがやってみるべぇ 」
そう思ったAさんは、猫ちゃんの申し出を丁重にお断りし、自分の家にもってかえって色々ためしたねぇ!
まずは、あらって食べてみた。だめだったねぇ。洗って、蒸してみた。これも、だめだった。
洗って、お米を加えて蒸してみた。
見事にだめだった。焼いてみたり、お湯にいれて煮てみたりしたが、どれもこれもだめだった。
「 こんだけやってだめなら何をやっても食えるわけはねぇ 」 そして、あきらめた。
こりないAさんは、数日もすると前に食べきれずに残して困ったことをすっかり忘れてまた白いカビがはえたご飯をおつくりになった。
今度こそ、Aさんは猫ちゃんに、その白いカビのはえたお米を預けてそそくさと帰ってきた。
猫ちゃんは、流石、優秀なシャーマンだけあって、村人Aさんの行動を他の村人Bさんはじめ多くの人に聞いて知っていた。そこで猫ちゃんは、引いても、足してもだめなものを掛けてみた。
白くカビたお米を一粒一粒ほぐしてバラバラにしてカビを増やしたのです。(米麹を作る)詳しく知りたい人は、それなりの本を読んでね。
( こっからは、法政大学の曽士才先生の苗族の酒文化の伝統からオイラのつごういいところだけ抜粋 )
先ずモチ米を蒸して箕(き)に移し、上からオウ・ガン・ヴィ(米を甑(こしき)で蒸したあと、大釜に残った水)をかける。発酵温度まで冷却したら麹を撒いてかき混ぜ、甕(かめ)に入れて発酵させる。甕に入れて三日たつ頃には甘くなる。旧暦の九月九日重陽の節句に仕込んだ酒が一番良く、甘味がいつまでたってもなくならないといわれている。酒が少なくなると、水を足して飲み続けることができる。酒液は乳白色で、口当たりがよい。
先生は、これを『 ミャオ(苗)語でジュー・ガン・ナンといい、甘い酒の意 』 甜酒(てんしゅ)というと書かれていました。
オイラは、かってに紀元前3000年頃には、中国にはまだ小麦が入ってきていないため米麹それもバラ麹が主流であったと考えます。
天甜酒(あまのたむざけ)に似ていると思うのはオイラだけ?かな。
今回は、これで終わり、次回に続く。
稲作を掘り下げていくと、中国文化の流れや人類史などにひろがっていきます。(例えば、古代日本人は、どこから来たのか?など)
ここでは、なるべく純粋に酔っ払い親爺として酒についてオイラなりに考察していこうと思います。
当然、史実に基づかない部分も多々あるので猫ちゃんや、熊さんや、八つゃんが、出てきたときには、あぁこれだなと思ってください。
 では早速、猫ちゃんが登場します。彼女は、紀元前3000年ころ黄河中流域に生まれました。
この頃には、稲作が発達してきて生産性があがり余剰作物がでてきます。当然、集落も大きくなり、個別に発達してきた他の集落(文化)との交流も増えていきます。その中で一番、農作物の生産性があがり、余剰作物が多い集落が他の集落よりも優位性を持つようになります。猫ちゃんは、その中でもとても優秀な力をもったシャーマンなのです。彼女は、神の宣託をうけ天候を予言し、収穫時期を予言し、そして病気さえ治します。
しかも、何より、オイラの好きなお酒さえ造るのです。それは、どういうお酒だったのでしょうか?
オイラは、考えます。きっとこうだと。
当時は、米は煮て食べるものだったでしょう?
でも、グルメな彼女はこう考えました。 このお米は煮てもおいしくないわ。蒸したらどうかしら。(お酒造りの第一歩です。) そのお米は、蒸したらとてもモチモチしておいしくなったのです。
その食べ方は、その集落でひろがりました。ある時、村人Aさんが、お米を蒸したのですが、食べきれないでのこしてしまい(この頃には、私有という概念が発生していた)蒸し米に白いカビがはえてしまったのです。
そこで、村一番のものしり猫さんにこれは毒なのか食べても良いものなのかと相談にいきました。
しっかりものの猫さんは、困ってしまいました。それまで、たべものを残したことがなかったのです。
さぁ、あなたならどうしますか? ちょうど、時間となりましたのでまた、次回にしましょう。
 今回の主役の熊さんや八つぁんにご登場願う前に、お米のお話を少ししましょうか。
稲作の起源はいつごろになるかというと20、30年前までは、今回の主役の一人、熊さんが活躍した時代よりもっとずっーと以前の紀元前4000年前くらいというのが通説でした。
それでも随分と古いのですが、現在では、水稲での栽培は紀元前4000年から5000年くらいで、陸稲栽培になるとななんと!!紀元前8000年から10000年くらい、いやもっと古いのではという説もあります。
また、以前は、稲作のはじまりは、インドのアッサム地方や雲南省あたりからだとかんがえられていたのですが、今では現在の河南省や福建省、江蘇省、熊さんが後に酒造りを始める淅江省あたりだといわれています。(最新《2008年7月》の農業生物資源研究所(茨城県つくば市)の井澤毅・主任研究員さんたちの研究では、もみの大きさを決める遺伝子の変異を手がかりに日本や中国で栽培されるイネ「ジャポニカ」の起源が、インドネシアやフィリピンまでたどれることがわかり、6日付の米科学誌ネイチャー・ジェネティクス(電子版)に発表しましたそうですが、ここでは、総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)の 『もみの幅を広げる遺伝子の変化をとらえたことは大きな発見で高く評価できる。ただ、遺伝子の変化を、直接イネの栽培化と結びつけるのは難しい。考古学資料とのすり合わせが必要だろう。』 というお話を引用させていただいて前説をとらしていただきます。
さて、中国のお酒ですが、前回のおまけで現存する最古のお酒ということで中山王国のお酒の写真をお見せしましたが、その中山王国が存在したのは戦国時代の紀元前300年頃のことです。(琉球王国の中山王国と混同しないで下さい。)
現存しないで最も古いとされるお酒は、アメリカの分子考古学者のマクガバン教授が2004年に河南省にある賈湖(かこ)遺跡で出土した16片の古代陶器のかけらの一部分にアルコールの残痕を発見し、化学溶剤を使ってかけらに残っていた物質を抽出することに成功したということです。

 化学分析した結果、抽出された物質には、糖蜜、サンザシ、ブドウと米などの成分が含まれていることが分かりました。この成分は、近代の清酒とワインの成分に似ています。これにより、9000年前に賈湖人がすでに酒の醸造技術をもっていたことが実証されました。(?)この発見により、人類が酒を醸造する歴史は5000年前から9000年前までにさかのぼり、中国は世界で一番早く酒を醸造した国であることも立証されました。(?)

 マクガバン教授は、古酒の原料の分析に成功しましたが、具体的な醸造方法が分からないため、原料処方をデラウェア州のある醸造工場に委ねました。この醸造工場は特別に中国の麹を用いて、中国伝統の醸造方式をまねてみごとに「賈湖城」を造ることに成功しました。

 「賈湖城」は アルコールの濃度が8%で、 色合いがシャンパンのような金色で、少し甘い香りがある。消費者の反応を試すために、醸造工場は最近ニューヨークで試飲会を催したが、かなり良い評価を得た。今年7月に正式に発売されれば、米国の消費者は9000年前の中国の古酒を味わうことができるようになる。(2007年の記事から抜粋。その後のことはわからないが、飲んでみたいですねぇ~)
ふぇ~、また熊さんと八つぁんのことを書けなかった。それでは、また次回のおたのしみに。
あぁ、それから熊さんを(マァオ)さんと読むのはやめてよね。構想の段階でチョッチ先走ってしまった。普通に”くま”さんて読んでね。ああ!そうかって後でわかると思うよ。きっとね?!
世界最古の現存するお酒
今から2300年前の、現存する世界最古の酒。
『中山王国文物展』より